国鉄末期の高千穂線
ネタ切れなので、過去の写真を!!
学生時代に友人と九州鉄道の旅に出ました。
貧乏旅行なので周遊券で夜行列車泊の旅でした。
それなりに写真は撮ったのですが、ほとんど整理しなかったため
今となっては、ここはどこ??? の写真ばっかしで・・・・・
その中で高千穂線(現在は廃線)の写真はなんとか発掘できました。
乗車したキハ20 白熱電灯、扇風機、灰皿が時代を感じさせます。
高千穂橋梁からの眺め。 観光客向けに徐行運転してくれました。
高千穂駅裏の土手から。
終点駅でしたが未成線区間が続いていたので中間駅みたいです。
この後しばらくして国鉄はJRになり、高千穂線は高千穂鉄道になったそうですが
それも今は廃線になってしまいました。
昔の懐かしい記録です。
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
いつも過去ねたも楽しませていただいておりますm(__)m
ここは行ったことがないですが、これまだ渋い。
また、車内の写真も貴重な記録ですね。
ここは災害が元で廃線になってしまったのですね。
投稿: TAKU | 2012年11月17日 (土) 23時49分
TAKUさん こんにちわです。
このときの旅行では他にもいろいろ撮影したのですが
整理出来ない性格が災いして、ここは何処??の写真ばっかです。
今のデジカメは撮影位置もGPSで拾って記録してくれるので便利になりました。
投稿: ポンポコぽこたん | 2012年11月18日 (日) 11時07分
初めまして。
昔懐かしい汽車(地元ではこの車両を、皆が“「汽車 」と呼んでいました。(^^; )の写真を見つけ、色々見ているうちにポンポコさんのblogの写真に目が行き書き込んでいる次第です。
このブログを書かれてからずいぶん日がたっていますが、よろしければ…と参考までに書き込ませていただきます。
谷間を走っている風景は、ご存知の通り高千穂線。の、日之影駅(後に、日之影温泉駅と改名)と吾味(ごみ)駅の中間程の所です。
写真は吾味駅の方(延岡方面)を写してる写真ですね。
どっかの駅、及び、すれ違う車輌の駅は、日之影駅です。
高千穂線は単線です。
延岡、高千穂間で、車輌の離合はこの日之影駅と隣の町の川水流(かわずる)駅の2カ所で行われていました。
それにしても懐かしい写真です。
私はこの汽車で延岡の高校に通っていました。
当時の通勤通学の便は、こんな田舎でも5両編成で、座るところが無い程の混み様だったんですよ。
2004年(だったかな…)、台風14号の豪雨、川の増水により鉄橋が3ヶ所流され、地元では復興へ試行錯誤、当時の東国原知事も含め手を尽くしていたのですが、残念なことに廃線となりました。
そんな今でも、各駅はいまだに形を残している程、地元の人達には未練の残っている鉄道だったですね。
日之影駅は、今は文字通り温泉、食事、物産販売の施設が有り、最近では、災害を受けるまで走っていた車輌を改造し宿泊施設として車輌の宿が、当時の線路の上に乗っかり鉄道ファンにも喜ばれているようです。
また機会がありましたらぜひおいでください。
では、突然でしたが、失礼致します。
投稿: 通りすがりの地元人 | 2016年7月14日 (木) 23時05分
通りすがりの地元人さん
貴重な情報ありがとうございます。
30年も前の写真で、整理整頓が苦手な性格が災いして撮影場所が不明でした。
スッキリしました。ありがとうございます。
こんな下手な写真でも懐かしく思って頂けたら嬉しいです。
景色の綺麗な路線だったのに廃線は残念ですね。
私の地元近くの名松線も災害で長期運休していましたが数年ぶりに復旧してくれました。
三重県に来る機会があればぜひお立ち寄り下さい。
投稿: ポンポコぽこたん | 2016年7月14日 (木) 23時40分